六月に入ると、いきなりジメジメとした蒸し暑さが襲ってきた。
ほんの一週間ほど前までは、カラッとした晴天とともに心地のいい風が吹いていたのだが、気象庁から梅雨入りが発表された途端にこの有様である。
去年のようにチャリ通でないとは言え、ただでさえご遠慮申し上げたい満員電車は余計に混雑するし、癖っ毛を気にしている俺としては早くも登校拒否したい気分になった。
入学する前は期待に満ちた大学生活を想像していたわけだが、思ったほど楽しくないしな。まぁそれはサークルもバイトもする気のない俺にも原因があるのかもしれない。
俺は一つ溜息を吐き、机の上に広げたノートを鞄にしまった。今日もようやく長い講義が終わった。金曜は三限から五限までみっちり講義が入っている上、望とも会えないので、あまり気乗りしない日だった。週末とは言え、土曜にも必修科目の講義が入ってるから大した嬉しさもない。
今日の晩飯は駅の蕎麦屋で済ますか、家に帰ってあり合わせのもので食べるか、どっちにしようか考えながら教室を出る。階段に向かっていた俺の足を止めたのは、何気なく吹き抜けの階下を見たからであり、そこに見知った顔――というか、俺の愛しの彼女――がいたからだった。
本来であれば望は俺より一時間早く帰っている。今日の望は二時間しか講義がなく、俺と被っている講義もないため顔を会わせることはない日のはずだ。
ところが望は一人ではなく、何やら見るからにチャラそうな茶髪の男二人に絡まれている。此処からでは望の表情はわからないが、きっと困っているに違いない。どうする俺。もし因縁をつけてきたら、二対一では分が悪い。俺には格闘技のセンスは欠片もない。しかしこのままでは――
俺が激しく逡巡していたその時、別の長身の男が茶髪男二人の背後に近付いていくのが見えた。
そののっぽ男は茶髪の片方の肩を二度叩き、何か言葉を発したらしく、茶髪男二人組が驚いたように一歩後ずさった。その隙にのっぽ男は望の手を引いて、一度も振り返ることなくその場を後にした。
何だあいつは。俺はさっきよりもさらに混乱していた。冷静さに自信を持っていたはずの俺はいずこへ。ガラでもなく大口を開け、その場に突っ立ったままである。
後々振り返ってみると、周囲から見ればさぞ不審に映っていたことだろう。しかしその時の俺は、周囲の目を気にするほどの余裕が全くなかった。
ズボンのポケットに突っ込んだままの携帯のバイブで我に返った俺は、慌てて階段に向かって駆け出しながら、ポケットから携帯を取り出して確認する。
『今正門にいるんだけど、一緒に帰れないかな?』
という望からの短いメールだった。
俺は両足にさらなる力を込め、全力疾走にギアチェンジした。全くワケがわからない。だがともかく、早く望のところに行って事情を聞く以上にすべきことなどない。
ヤバい。高校を卒業して以来、運動らしい運動を何一つしてこなかったツケが回ってきたらしい。ちょっと走っただけなのに、物凄く両足が重くなったぞ、おい……。
己の体力のなさを呪いつつ、今後は自主トレに励もうと決意を新たにしつつ正門に駆けつけると、そこには地上に舞い降りた天使こと望嬢と、さっきののっぽが――
「げっ」
思わず声に出してしまったのもお許し願いたい。望とともに俺を待っていたその長身男は何を隠そう、ウザキザ野郎こと桜木祐一だったからな。
「では、俺はこれで」
桜木は眉間に皺を寄せながら冷めた目つきで俺を一瞥した後、望に一礼してその場を立ち去った。
何だあいつ。相変わらず感じの悪い野郎だ。
「急に呼び出しちゃってごめんね、深也。実は今、桜木君に助けてもらったんだけどね――」
切らした息を整えて、望と並んで駅に向かって歩きながら、俺がさっき一部始終を目撃していた件について、詳しい話を聞くことになった。
まぁ何にせよ、望を助けてくれたことは事実だからな。あいつに貸しが出来てしまったのは不愉快だが、今度ちゃんと礼は言っておくことにしよう――