メモリアルリミット 〜Limit of memories〜

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〜第29章 Sorrowful back〜


 短い冬休みが終わると、次は本格的な厳冬とともに魔のテスト週間がやってくる。
 ちょうど二週間の冬期休暇の後、大学では一週間のラスト授業ウィークがあって、その最終授業で試験を実施する科目と、先週から始まった試験期間に試験を実施する科目に分かれる。
 まぁ、それは前期と同じだから詳しい説明はいらないか。現在俺は専門科目である日本政治論の試験中で、課された論述問題を処理すべく、白紙のA4藁半紙と睨めっこを続けている。
 この科目が終われば俺の当該試験はめでたく全日程を終了し、明日から晴れて約二ヶ月に及ぶ長い長いスプリングバケーションと言う名のパラダイスが待っていると言い聞かせるものの、全く想定になかったテーマで論述しろと言われて、ほいさっと書けるほど俺は要領が良くない。
 良くないなら良くないでもっと勉学に勤しめ、と言われてもこの試験に関しては手遅れだ。
 手遅れと言えば――俺は望と初めて夜中に出掛けた、あの日のことを回想してしまう。

 あの夜、結局俺は望が泣き止むまでずっと抱き締めていた。が、望が落ち着いてしまうと車内は沈黙に包まれ、今度は俺の方がそわそわしてしまった。そんな俺の様子がおかしかったのか、沈黙に耐え切れなくなったのか、望がぷっと吹き出して顔を綻ばせてくれなかったら、俺はきっと妙なことを口走って、さらに墓穴を掘っていただろう。危うくまたろくでもないトラウマが増えるところだった。
 ただでさえ付き合ってから二年弱も経つってのに、まだキスすら出来ていないアルティメットヘタレ野郎である二十歳にも満たない十九の小僧が、あろうことか指輪を渡すなんて出過ぎた真似に走ったのは時期尚早もいいところだったんじゃないかと、激しく後悔しかけていたからな。
 俺の予定では望への誕生日プレゼントはオルゴールだけのつもりだった。ところが九条さんに相談を持ちかけたら指輪をプッシュされ、シンプルなデザインのシルバーのリングが控え目なお値段で売っているお店を紹介され、『望ちゃんの指のサイズはあたしがそれとなく聞いておくから!』 などと張り切る九条さんのペースに乗せられ、あれよあれよという間に俺の手元に指輪が納まった。
 しかも指輪を渡す時の台詞、あれじゃ完全にプロポーズみたいじゃないか。何を考えてたんだ、あの夜の俺は。きっと九条さんは今頃、ケラケラとされど上品に笑っているに違いない。
 ともかくその後、車を出した俺に望は上機嫌で色々と聞いてきた。高かったんじゃないかとか、こんな私好みのデザインを深也が選べるわけがない、誰に相談したのかとか、もう一生離さない、返せって言われても返さないからとか。何にせよ望が喜んでくれたんなら、俺に言うことはない。

 試験が終わってもそんなことを回想していたからだろう、俺は廊下の向こうから歩いてきた男が顔見知りであることに全然気付かなかった。しかもそいつはさも不審者を見るような顔で、
「そんな顔をしていると、変質者に間違われるぞ。いや、間違いではなく事実か」
 などとほざいてきやがった。俺にこんな失礼なことをぬかす野郎は一人だけだ。
「お前こそ、そんな仏頂面で歩いてると危ない奴に間違われるぜ」
 黒の皮ジャケット姿の桜木に言ってやった。だが桜木は特に気にした様子もなく鼻で笑う。
「俺は好き嫌いがはっきりしているだけだ。親しい奴にはきちんと接する」
 そうかい。お前も司馬みたいに、意味もなく当たり障りのない笑みでも浮かべてりゃ友達も増えるんじゃないかと思って、せっかく直々に忠告してやったのに、どうやらお門違いだったようだな。
 じゃあな、と俺が横を通り過ぎようとすると、桜木は珍しく引き止めるように口を開いた。
「春休みに入ったら、麻衣がパーティーをしたがってる。去年の祝賀会の時みたいに」
 俺は足を止め、振り返って長身の桜木を見上げた。
 ほう、そうなのか。で、なぜお前が俺にそんなことを告げる?
「別に。ただお前や春崎さんといると、あいつはとてもいい顔をしてる。麻衣が望む限り俺も参加するに吝かではないが、俺はお前たちのようにあいつを笑わせてやれない。それがもどかしい」
 ……それで、何が言いたいんだ。
「意味はない。言ってみただけだ。近々あいつから連絡がいくはずだ。参加してやってくれ」
 そりゃあ、もちろん喜んで参加させていただくが……。
 何となく奥歯に魚の骨が挟まっているような妙な気分だ。俺が言葉を選んでいるうちに、桜木は言うべきことは言ったとばかりに躊躇いもなく歩き去った。その背中が俺には寂しげに見えた――


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