俺が学校に着いたのは、8時になる少し前だった。始業の鐘が鳴るまで、まだ30分はある。いつものように指定の場所に自転車を置き、職員室へ向かう。教室の鍵を取るためだった。俺のクラスの生徒は、学校に来るのが遅い者が多く、恐らく俺が1番乗りだと思ったからだ。
職員室のドアを開け、自分のクラスの鍵を取る。俺はそのまま、職員室を出るつもりだった。
ふと奥の方を見ると、担任の鈴木教諭が1人の女子生徒と話をしているのが目に入った。それ自体はどうということはない。教師が生徒と話をしているなんてものは、日常の光景だ。
その女子生徒は、俺に背を向けて立っているので、顔はわからなかった。しかし、何処かで――いや、やっぱり気のせいだろう。そもそも、俺は女子と面と向かって話すことがあまりない。
俺は踵を返し、職員室のドアを閉めた。5階の自分の教室へ向かう。まだ向かうのは1年生の教室だ。そこで短いホームルームが行われ、新しいクラスも発表になる。
予想通り、教室には誰もいなかった。鍵を開けて中に入ると、埃っぽい臭いが鼻を刺激する。俺は自分の席に鞄を置き、窓を全開にしてやった。まだ涼しさの残る春の風が、頬を撫でる。
俺はしばらくの間、何も考えずに風にあたっていた。いや、何も考えずというのは語弊がある。正確には、昨年までのことを思い出していた。過ぎ去った過去は美しい。全くその通りである。
そんなことを考えていたからか、いつの間にか隣に来ていた友人の声に、少し反応が遅れた。
「何を考えていたんだ?」
俺の肩に手を置きながら、司馬啓介が聞いてきた。
「あぁ…いや、大したことじゃないんだ。それより、今年も同じクラスになると良いな」
「そうだな。まぁ、それもあと数分で分かることだ」
俺は教室の壁の時計に目をやった。8時20分だった。もうそんなに時間が経っていたのか。
さて、後の経過は面倒なので省くとしよう。とにかくその後、鈴木教諭が教室に入ってきた。新しいクラスが読み上げられ、それぞれのクラスに移動。俺は5クラスのうちの3組だった。
司馬、五月、五十嵐など、現在同じクラスの生徒も何人かいたので、特に不安には思わなかった。勿論、最も親しい司馬と再び同じクラスになれたということは、素直に喜ばしいことだった。
女子などは騒がしく何か喋っていたが、俺はさっさと移動したため、後のことは分からない。そして、新しいクラスでホームルームが始まる。勿論知らない顔もあるわけで、ちょっと新鮮な気分になった。
幸か不幸か、偶然にも担任は持ち上がりで鈴木教諭だった。此処は幸、ということにしておこう。自己紹介をした鈴木教諭はその後、意外にもこのように話を続けた。
「さて。僕の自己紹介はこのくらいにして、今日は皆に新しい生徒を紹介したいと思う」
恐らく大半の生徒が驚いていたのだろうが、よく覚えていない。それどころではなかった。
鈴木教諭は、1人の女子生徒を連れて来た。その生徒を見た途端、俺は思わず言葉を失った。彼女は緊張した面持ちではあったが、言葉を噛み締めるようにして、ゆっくりとこう言った。
「春崎望です。まだ分からないことばかりで緊張してますが、よろしくお願いします」