記憶を旅して 〜trip to the memories〜

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〜第20話 シロイセカイ〜


 季節はいつしか外界の凍てつく寒さを肌で感じ取れるまでになっていた。短い秋の次は冬である。地味に乾燥肌な俺としては、除湿器の存在にありがたさを覚えつつ、ホッカイロをポケットに忍ばせる。
 今日は12月22日、終業式だった。そして明日の天皇誕生日は、実は望の誕生日でもあった。望に何かプレゼントを渡すべきだろうとは思いながらも、俺は何を渡せば良いのか分からずにいた。司馬に相談する機会はいくらでもあったが、茶化されるのが嫌でそれも出来ず、結局今日が来てしまった。やむなく俺は望にそれとなく何が欲しいのか聞いてみて、それから決めることにしようと考えていた。
 朝のホームルームの直前に聞く予定だったのだが、とんだことに鈴木教諭にお呼ばれしてしまった。この時期、卒業を間近に控えた3年生のために、毎年ちょっとした冊子を作っている。そして俺は仕事が少ないこと、パソコンを使うという理由だけで、出版委員に籍を置いていた。昨年も冊子制作に協力していたのに、すっかり記憶から抜け落ちていた。そんなわけで、今日の放課後は居残りになってしまった。
 さて。では望にいつ聞き出せば良いか。俺は毎度のことながら終業式の間に思考を巡らせる。まぁ聞ける時に聞けば良い。ダメならメールっていう手もあるじゃないか、なんて楽観的な結論に達した。
 全く予期していなかった出来事が起こるまでは。
 
 それが起きたのはその日の放課後のことだった。時刻は恐らく正午を回っていた頃だと思う。皆は冬休みに思いを巡らせているのだろうが、俺はその前に委員会の仕事に借り出される羽目になった。その仕事中に筆記用具が必要になったので、荷物を教室に置いてきてしまった俺は、渋々と筆箱を取りに教室に戻った。こんなことなら鞄と一緒に筆箱も持って行くんだった、という愚痴はこの際どうでも良いことだ。
 俺がドアに手をかけ、力を入れようとした瞬間――人の気配と共に教室の中から微かに声が聞こえてきた。何故立ち止まり、中に入らなかったのか、俺にもよく分からない。直感としか言いようがなかった。
 委員会や部活でもなければ、この時間まで教室に残る用事はないはずだ。一体誰が何の用なのか? ドアの中央に取り付けられている小窓からでは、教室の中の様子を完全に把握することはできない。
 気が付いた時には咄嗟に身を屈め、耳を澄ましていた。傍から見ればかなり怪しい行動だろう。しかしこの時の俺は、そんな考えは頭から抜け落ちていた。中から聞こえてきた声は、まず男子生徒が一人。
「わざわざ残ってもらってごめん。でも俺と君の気持ちをはっきりさせておきたかったんだ」
 その声の主はクラスメートであり、運動神経が抜群の東條直樹のものではないだろうか。東條の台詞から察するに、もう一人――しかも恐らく女子が――いるらしい。この時、俺の心に暗雲が立ち込み始めていた。
 理由は分からない。嫌な予感としか言いようがないが、とにかく俺の心が警鐘を鳴らしていた。
「…春崎。初めて出会ったあの日から君が好きだ」
 意を決したのか、東條の真剣な声が耳に届いた。その瞬間、俺の心の中で何かが弾けた。

 このドアを隔てて起きている出来事をすぐさま把握することは、俺には到底できないものだった。春崎――確かに東條はそう言った。まさか東條が望に告白だなんて、そんなことがありえるのだろうか。
 目の前が真っ暗になって、無意識に足が竦んだ。それでいて、頭の中だけは妙に冴え渡っている。
「時間が経つに連れて、君のことが頭から離れなくなって、いつの間にか目で追うようになってた」
 東條の声が続いていた。望は黙って耳を傾けているのだろうか。俺には望の声は聞こえなかった。
「夢原と仲が良いのは知ってる。でもそんな君の姿を見ていると、胸が張り裂けそうになるんだ」
 俺のことを言っている。東條がそんな風に俺達を見ていたなんて、全く気が付きもしなかった。
「告白するべきかどうか何度も悩んだけど、やっぱり伝えたいと思った。俺と付き合って欲しい」
 また静寂が続く。東條の言いたいことは以上のようだった。望が声を発するまでの時間が、酷く長く感じられた。逸る鼓動を何とか抑え付けて、俺は息を潜めた。望が何と答えるのか、それだけが気になっていた。
 俺は今でも始業式で俺を見つけた時の、あの夏の観覧車の時の、文化祭の時の、望の澄んだ瞳を鮮明に覚えている。あの瞳が物語っていたはずだ。望が東條の告白を受け入れるはずがない――
 だが、ようやく聞こえてきた望の言葉は、俺の期待を裏切るものだった。望はこう言った。
「気持ちは嬉しい、ありがとう。でもすぐに返事はできないから…考えさせてください」
 それを聞いた瞬間、世界が暗転したかに思えた。今まで自分の掌の中にあったものが、するりと抜け落ちていくような感覚に襲われた。俺は歯を食い縛り、足を縺れさせながら必死に廊下を駆けた――


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