メモリアルリミット 〜Limit of memories〜

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〜第43章 Determination〜


 最初に望の病室を訪れてから三週間が過ぎていた。それは同時に俺の夏季休暇も三週間が経過したということを意味しており、気が付けば八月もいつしか下旬に入っている。
 この二週間、俺はほぼ毎日のように望に会いに行った。見ず知らずの男が頻繁に見舞いに来るわけだから、望からすればさぞ不審に感じたことだろう。しかし幸いにも拒否されたことは一度もなかったし、ほとんど俺が一方的に語るだけの話にも嫌な顔を見せたことはなかった。
 相変わらず口数は少ないし、今一つ感情らしい感情は見えないのが、もしかしたら望はある事実に気付いてるかもしれない。俺の話に登場する幼馴染が望自身であることに。
 その根拠は一週間前、俺の携帯に付いてるストラップを望が指摘しかけたからだ。その透明なイルカのストラップは正式交際の一周年記念に、隣の市にあるレジャー施設に行った時、お揃いで買ったものだった。そんな経緯があったことを忘れていれば、疑問に思うのは当然だ。
 でも結局その後、望がストラップのことを話題にすることはなかった。自分なりに何か考えているのかもしれないが、その時の俺は明確な答えを用意していなかったから、まぁ良かったのかもしれない。望のお母さんがタイミングよく現れてくれなかったら、どう答えていただろう。

 そうだ、その話も今一度整理しておく必要がある。望のお母さんが俺に話してくれたのは、望が俺に宛てた手紙のこと、入院に至った経緯、そして現在の容体の三つだった。
 望が俺に手紙を書いたのは六月末、ちょうど俺が望の悩みを聞くためにドライブデートを敢行した頃だったらしい。やはり三月の頭、正式交際二周年記念を祝して横浜に出掛けた時には、もう既に望の病状は進行していたようだ。それでも望は最後まで隠し通すことを選んだ。
 望が精密検査のために入院したのが大体一ヶ月ほど前。俺が司馬に助言を仰いでいた頃には、望は大学に来ていないばかりか、家にもいなかったということになる。病室に関しては二年半前の事故の時に担当してくれた医師の口利きで、安くしてもらえたということだった。
 司馬や九条さんの背後関係を当たった方が安くできたのかな、とちらりと思った。
 そして望の現在の容体は、あまり芳しい状態とは言えないそうだ。PETによる精密検査の結果、大脳辺縁系の海馬周辺の活動低下が著しいことから、疑いのあった高次脳機能障害にまず間違いないという診断が下された。原因は二年半前の交通事故以外には考えられなかった。
 このように事故から二年半も経ってから後遺症が見つかるケースなんてあるのか?
 この二週間、俺も自分なりに脳医学に関する本などを紐解き、高次脳機能障害についてある程度の知識を仕入れた。その結果分かったのは、事故による身体障害が見られない場合も脳機能に障害が生じるかもしれないこと、この病気は自覚症状が薄いため見つけにくいこと、さらに損傷部分である海馬は記憶を司る部分であること。理解できたのはせいぜいこの程度だった。
 つまり結論から言えば、考えられないケースではないってことだ。そして問題となるのがこの病気の治療方法。様々な機能訓練を始めとするリハビリ、薬物治療がメインになるが、いずれにしても望の脳機能が元通りになる保証はどこにもない。下手をすれば一生このままだ。
 だが俺は諦めたくない。望にも諦めてほしくない。全部思い出になんかさせない――

 俺はある決意を固めて、望の病室を訪れた。見慣れた三〇一号室の扉をノックする。はい、という望の聞き慣れた小さな声。俺は大きく息を吸い込み、そのドアに力を込めた。
「夢原さん、こんにちは」
 誰が入って来るのか分かっていたかのように、望はベッドに座って待っていた。
 俺はベッドの横まで移動し、パイプ椅子には腰掛けずに立ったまま挨拶を返す。
「こんにちは」
 俺の反応がぎこちなかったせいか、望が不意思議そうに顔を覗き込んできた。
「どうかしましたか? 夢原さん、何だか疲れてますよ」
 この一週間で望は多少なりとも心を開いてくれたのかもしれない。しかし俺が望んでるのは一からやり直すことじゃない。幼馴染であり彼女である望との日々を取り戻すことだ。
「いや。それより、明日一緒に行ってほしい場所があるんだ。来てもらえるかな」
「えっ。でも、私は……」
 俺のいつになく真剣な口調に気圧されたのか、望は身体を硬直させて言い澱む。
「お母さんに頼んで担当医師に話をつけてもらった。外出許可は下りてるんだ」
 それでも望は踏ん切りがつかないらしく逡巡していたが、やがて口を開いた。
「……どうしても、ですか?」
 上目遣いで聞いてくる望と視線がぶつかる。俺は目を逸らすことなく、静かに告げた。
「どうしても、望に来てほしい」
「……分かりました。そこまで言うなら行きます」


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