八月五日。今年も夏本番がやってきた。今日の最高気温は今シーズンで最も高いらしい。俺は夏が好きじゃない。俺の幼馴染は夏が好きなようだが、俺は暑いのが嫌いだ。
ただでさえ暑苦しくて忌々しい季節だってのに、じめじめうじうじしてる野郎が俺の知り合いにいるから、堪ったもんじゃない。俺はそいつが好きじゃない。何か腹立つ。
事情は麻衣や司馬から聞いていた。何でもそいつの彼女が大変なことになってるらしい。大変なことって何だよって話だが、詳しいことは麻衣や司馬も分からないようだ。
俺も取り立てて関心があるわけではないし、他人の込み入った事情に首を突っ込むと、総じて地雷を踏むことになると理解している賢しい俺は、傍観者の立場を崩さない。
しかし今回はどうにも心の中がモヤモヤしてしょうがない。ただ一つ確かなのは、麻衣はそいつに気があるってことだ。俺はそれがどうにも気に入らないんだろうと思う。
せっかく麻衣が自分の感情にケリつけて、そいつの背中を押してやってるってのに、そいつがじめじめうじうじしてるもんだから、俺はここんとこずっとヤキモキしてる。
そいつがウジウジしている分には別にどうでもいい。俺には関係ないし。でもその影響で、麻衣まで元気がなくなるなら話が違ってくる。麻衣は俺の大事な幼馴染だから。
あいつが幼馴染である彼女のことには必死なように、俺だって麻衣のためなら必死になる。そこに理由なんて存在しない。強いて言えば"守りたい人だから"なんだと思う。
とにかく、俺は俺のやり方であいつの背中を押してやらなければならない。勘違いするな、全ては麻衣のためだ。だから――お前が男らしくいなきゃダメなんだよ、夢原。
俺は夢原を電話で呼び出した。俺の方からあいつに電話したことは一度もないし、今後もするつもりはない。今回は唯一の例外だ。だから夢原はひどく驚いた声を出した。
『桜木か……何の用だ』
何の用だ、とは不躾だな。まぁ長々と話す間柄でもないし、その方がいいんだが。
「お前に話がある。会って話したい。これから出れるか」
『会って話したいって……これからすぐに? 電話じゃダメなのか』
電話越しにも躊躇う様子が伝わってくる。無理もない、逆の立場なら俺でも断る。
「ああ、大事な話だ。場所はお前に任せる」
『……今、ちょっと取り込んでるんだ。一人で考えたい。だから、また今度に……』
夢原は歯切れが悪い。分かってる、彼女のことで悩んでるんだろ。俺もその話だ。
「お前に守りたい人がいるように、俺にも守りたい人がいる。夢原、来い」
『……分かった。じゃあ一時間後に、場所は○○駅の近くにある○○公園で』
それでも夢原は逡巡していたが、やがて観念したように呟いた。
俺の有無を言わせぬ強い口調で、どういう話なのか大体の検討が付いたらしい。
「ああ、すぐに行く」
そう言って、俺は電話を切った。確か○○駅は夢原の自宅の最寄り駅だったはずだ。俺の家からだと電車で四十分近くかかる。さっさと支度して家を出ないと間に合わない。
本当なら俺がここまでしてやる義理はない。だが、麻衣のためだ。やむを得まい。
○○駅の北口改札を抜け、右手に三百メートルほど歩いた場所にその公園はあった。
申し訳程度の砂場に、ブランコと滑り台しかない、正直言って寂れた公園だった。この炎天下では遊んでいる子供もいない。当たり前だ、俺だって本当なら今すぐ帰りたい。
何だってこのクソ暑いのに、外の公園なんか指定しやがったんだ、あのバカ――。
俺は心の中で悪態を吐きながら夢原を探した。夢原は日陰のベンチに座っていた。
「呼び出しておいてアレだが、何でこんなところを指定したんだ」
あまりに暑いので、本題より先に文句が出てしまった。
「大事な話だって言うから、人気のないところの方がいいと思ったんだ」
まあどっかの洒落たカフェで話すことでもない。野郎二人で入っても楽しくない。
「それで、今日は何の用なんだ。申し訳ないが、手短に頼む」
夢原は俺と目を合わせることなく、ポケットに手を突っ込んだままで言った。
俺は多少ムッとしたが、暑いのは確かだったし、我慢して本題に入ることにした。
「麻衣から聞いた。もし俺がお前の立場だったら、同じように途方に暮れていたかもしれん。部外者である俺が言えた義理でないことは分かってるが、それを承知で言わせてもらう。部外者だから見える視点ってのもあるんだ。だから……お前は、迷うな」
俺の要領を得ているとは言い難い言葉に、夢原は訝しむように眉を顰めている。
「例え春崎さんがどんな状態にいようと、お前は彼女を信じろ。そして彼女が信じたお前自身を信じろ。春崎さんを救えるのはお前だけなんだ。お前が彼女の道標だ。違うか?」
夢原は口籠っていたが、やがて顔を上げた。苦虫を噛み潰したような表情だった。
「簡単に……言うなよ。あいつは……望はもう、俺の知ってる望じゃないんだ……」
何だって? 俺の知ってる望じゃないって、何だよ。俺は一瞬、言葉を失った。
「あいつは……俺やお前たちと過ごした記憶を全部っ、何もかもっ、忘れてっ……」
夢原は嗚咽を噛み殺し、涙を見せまいと必死に唇を噛み締めていた。それが俺の初めてみる、夢原の弱さだった。俺が浅はかだったのか? 所詮事情も知らなかったくせに?
「バカ野郎っ」
俺は怒りに身を任せ、夢原の胸倉を掴んだ。やつは目に涙を溜めたまま俺を睨む。
「だから何だってんだ? そんなことで、お前は彼女を諦めちまうような腰抜けクズ野郎だったのかよ。見損なったぞっ。男なら、どうしても守りたい人がいるなら……掴んで離しちゃいけねえんだよっ。さっさと行けよ……手遅れになる前に。とっとと行けっ!!」
俺は吐き捨てるように言い、同時に夢原の胸倉を離した。夢原の目の色が変わった。
「桜木……悪い。俺、行ってくる。望のところに。ありがとな」
それだけ言い残して、夢原は俺に背を向けて駆け出した。全く、世話が焼けるやつ。おかげで柄でもなく大声出しちまった。誰かに見られでもしてたら厄介なことになるだろ。
まあ……怒りを抑えられなかったのは、夢原にというより、俺自身に対してだった。俺が麻衣にしてやれることがなんなのか。もどかしい思いを抱えて、踏み出せない自分に。
夢原――お前は強いやつだよ。俺なんかよりずっとな。だから、迷う必要なんかない。